
仕事を始めたころ、お客さんとの会話が不自由なため、意思が通じなくて食い違いや誤解などで悩んでいました。店長さんとの話がうまく通じないので、一年六ヵ月ほどで退職しました。「言葉が通じない」という理由から、他の人に仕事を回されてしまうなど、仕事上の悩みがいろいろ重なったためでした。障害を持っている者が、社会で生きていくことの難しさを痛感したできごとでした。
昭和四十九年十月、酒田市内のナポリ理容店さんに雇ってもらいました。そこの店長さんは山形県立山形ろう学校高等部理容科を卒業した人です。店長さんも聴覚障害者です。手話がとても上手です。理容の技術や経営について、お客さまとの接し方について、教えてもらいました。たくさんのことを知ることができて安心しました。良い店長さんにめぐり違えたと喜んだものでした。
ナポリ理容店に十三年間、勤務しました。その間、自動車の免許を取得し、車で往復一時間ほどの道のりを通勤しました。十三年間のうちには喘息を患い苦しみました。この病気で一時、意識不明となったこともあり、そのときも主治医から一生懸命に治療してもらい、一命を取りとめました。国立療養所秋田病院に二ヵ月ぐらい入院、治療をし運動や呼吸法などリハビリを受けました。
一時は、理容業をやめるかどうか迷っていたようですが、喘息でお世話になった主治医に、「理容業なら自営でもできますから、病気を気にしないで仕事にがんばって下さい」と励まされました。
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